平安京大内裏

平安京の北中央部に位置し、東西約1.2Km、南北約1.4Km、行政施設・国家儀式や年中行事を行う殿舎・天皇の居住する内裏が設置されている。
大内裏の周囲は 築地の大垣がめぐらされ、この築地を宮城垣(きゅうじょうがき)また外の重(とのえ)という。
大内裏の門は最も外側に面した 宮城門(下記参照)、その内側に内裏に向かって 宮門閤門の順に中心に近付く三段階の門の構成になっている。

※青文字の部分には説明があります、黄色に塗られている所は図面付きです。

大内裏図

宮城門(みやぎもん)

大内裏の四方に門が開かれ外面する宮城門(宮門)には、十二の門(+二門)がある。
818年に改名がされたおり、諸門に書道の名手を選んで扁額(横に長い額)を書かせ、門上に掲げた。
これらの門より内裏に出入りするさいには、五位以上は名を言い、六位以下は姓名を名乗った。
また諸門は左右 衛門府が管轄し火をたいて守った。

朱雀門(すざくもん)
宮城の正門で、山門・大門ともいわれた。
二階造りで他の門よりも大きな規模を誇り重閣門ともいわれ、東西に腋門(小門)があり、門外に 仗舎があった。
伴氏がこの門を造ったので、改名以前は大伴門といった。
しかしそれ以前から唐にならって朱雀門という名称も使われていた。
左右 衛門府が共にこの門を管轄した。
大祓い等の儀式もこの門前で行われた。
989・1209年に転倒、1208年は火災にあっている。

美福門(びふくもん)
二階造りの建物で、越前国の壬生(みぶ)氏がこれを造ったので、改名以前は壬生門といわれ、左 衛門府が管轄した。
門内に 廩院があり、818年にそこへの雑物を運ぶ為に使用するのを許された。
東西に腋門(小門)・ 仗舎があった。
989年・1007年に台風で転倒、1169年には既に門としての形はなく、土台の石だけになっていた。

皇嘉門(こうかもん)
二階造りで 雅楽寮の旧位置がこの門の西わきにあったので歌司御門・雅楽御門ともいわれ、右 衛門府が管轄した。
若犬甘氏(わかいぬかい)氏がこれを造ったので、改名以前は若犬甘門といった。
東西に腋門(小門)・ 仗舎があった。

郁芳門(いくほうもん)
伊予国(愛媛県)の的(いくは)氏がこれを造ったので、改名以前は的門といわれ、左 衛門府が管轄した。
門内北に 大炊寮大膳職があったので、そこへの雑物・米等の運搬に用いられたので、大炊御門ともいわれた。
また、 公卿らの大内裏への出入りの時に、この門で 牛車から下車することが多かった。
1127年に火事があった。

待賢門(たいけんもん)
播磨国(兵庫県)の建部(たけるべ)氏がこれを造ったので、改名以前は建部門といわれた。
陽明門と郁芳門の中央にあるので、中御門(なかみかど)ともいわれ、左 衛門府が管轄した。
瓦葺きで、棟に鴟尾(シビ:しゃちほこ)が置かれた。
この門で 手車を降りることが多かった。

陽明門(ようめいもん)
備前国(岡山県)の山氏がこれを造ったので、改名以前は山門といった。
門内に右 近衛府があるので、近衛御門(このえみかど)ともいわれ、左 衛門府が管轄した。
内裏に最も近い門であるため、 行幸以外に役人の日常の出入りに使われた。
1126〜31年の間転倒し、その後修復はされたものの荒廃していった。
1120年に焼失している。

談天門(だんてんもん)
阿波国(徳島県)の玉手氏がこれを造ったので、改名以前は玉手門といった。
門内に左右 馬寮があったので、馬司(うまのつかさ)御門ともいわれ、右 衛門府が管轄した。
870年より 中和院に運ぶ雑物はこの門からの出入りを許された。

藻壁門(そうへきもん)
西中御門ともいい、但馬国(兵庫県)の佐伯(さえき)氏がこれを造ったので、改名以前は佐伯門といった。
切妻の瓦葺きの建物で、右 衛門府が管轄した。
1020年大風で転倒、他数多く災害にあっている。

殷富門(いんぷもん・いくほうもん)
尾張(愛知県)・美濃(岐阜県)の二国の伊福部(いふくべ)氏が造ったので、改名以前は伊福部門といった。
門内北側に右 近衛府があったので、西近衛御門ともいわれ、右 衛門府が管轄した。
1020年に大風で転倒した。

達智門(たっちもん・たていもん)
備中(岡山県)・備後(広島県)の二国の丹治比(たじひ)氏がこれを造った。
「拾芥抄」に多天井門と記述があるが、これは本来の語が訛ったもの)
衛門府が管轄した。

偉鑒門(いかんもん)
丹波国(京都・兵庫県)の猪養(いかい)氏がこれを造ったので、改名以前は猪養門といった。
玄武門・不開門(あけずのみかど)ともいわれた。
左右 衛門府が隔年毎に交互に管轄した。
989年に転倒・1156年に焼失等の災害にあっている。

安嘉門(あんかもん
若狭(福井県)・越中(富山県)の二国の海犬甘(うみいぬかい)氏がこれを造ったので、改名以前は海犬甘門といった。
門内の西に 兵庫寮があったので、兵庫司衛門とも呼ばれた。
衛門府が管轄した。


上東門(じょうとうもん)
平安京になってから出現した宮城門には入らない門。
築地を切り開いただけで、土門で屋根も門額もない簡素な小門。
衛門府が管轄した。

上西門(じょうさいもん)
平安京になってから出現した宮城門には入らない門で、西土御門ともいわれた。
上東門に同じく 築地を切り開いただけで、土門で屋根も門額もない簡素な小門。
右京側に開かれているので、使用頻度がすくなかった。
衛門府が管轄した。


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