
人の乗る所、「車の箱」ともいう。屋形の前方を「車の前」「車の口」、後方を「しり」といい 簾が下げられた。
屋形の上部を「上葺(うわぶき)」といい、その中央の前後に渡り端を少し上部へ曲げた黒漆の木のこと。
棟の木の下に
総角に結んだ糸を付けることを「棟融(むねとおし)」という。壮年は紅糸、老年は白糸を用いる。
屋根が反る前後の軒の部分のこと。 唐搏風作りのような形の物を「雨眉(あままゆ)」という。
車の前後の口の左右の端のこと。
袖や軒が格子になっているものを「袖格子(そでごうし)」「軒格子(のきごうし)」という。
袖の内側、前後の口の左右にある板を「榜立(ぼうだて)」「桙立(ほこだち)」といい、その上部に「手形」が切ってあり、この手形に掴まって牛車の揺れをしのいだり乗降をした。
「踏み板(ふみいた)」ともいう。
車の乗降口(前)にある板のこと。後ろにあるものを「後板」という。車によってはその上に
高欄のあるものもあった。
屋形の左右両側(立板)にある覗き窓のこと。
前の袖から後ろの袖にまで物見が及んでいるものを「長物見(ながものみ)」、その半分ほどのものを「切物見(きりものみ)」という。
物見の下を「下立板(しもたていた)」という。
車の前方、左右に長く前に出ている木のこと。
車の後の左右に短く出ている棒のこと。
轅に金具が付いていて、 雨皮(同ページ参照)のつまの尾を結び留めた。
轅の端にあって、牛の頚に当る横木のこと。
櫟(くぬぎ)の木で作られた。
輪の周囲の厚い木を「おおわ」という。
輪の中心から周囲に放射する木を「輻(や)」という。その形が「矢」と似ていることからこの名がついた。
「輻」の集中する中心のことを「轂(こしき)」または「筒(どう)」という。
轂の口に磨耗を防ぐために付けられた鉄を「かりも」という。
車を屋形に結び付ける索のことを「とこしばり」といい、車の輪を切り離す時はこのとこしばりを切り解いた。
車の左右の両輪を繋ぐ細い木のことを「軸(よこがみ)」といい、軸の端の銕(てつ)のことを「くさび」といった。
机のような形をした台で、車から牛を放した時に車を水平に保つため軛の下に置くもの。
上に錦を押し、四方の隅に
総角に結んだ紐を垂れる。
搨は金物によって身分の上下を分けた、
大臣は黄金物(きかなもの)、
大将は赤銅(しゃくどう)、納言以下の
殿上人は銕金物(くろかなもの)を用いた。
雨天の際、三位以上または
僧綱らの乗用した車の雨漏りを防ぐために用いるもの。
生絹を
浅黄色に染め油を引いたもので、長さ5寸(約15cm)程の竹の針でこれを止めた。
殿上人以下または普通の僧等の乗用する車には張筵(はりむしろ)を用いた。
牛車は、通常は4人乗りで位の高下によりいろいろな種類があった。
唐庇車(からびさしのくるま)
屋根が唐
搏風作りのようなので「唐車(からぐるま)」ともいう。
屋形は
檳榔で編み、
庇と腰にも檳榔の総を垂らす、前後と物見には蘇芳
簾を付けた。牛車の中で最大の物で、上皇・皇后・
春宮・親王・摂関等が乗用する。摂関は春日詣・賀茂詣等の時に乗った。
車体が大きく高いので、普通の車は搨を踏み台として昇降するのが、この車は桟(はしたて)という梯子で昇降した。
檳榔毛車(びろうげのくるま)
「毛車(けぐるま)」ともいう。
檳榔または菅の葉を細かく割いて毛のようにして編んだもので屋根を葺いてあるのでこの名前がある。
上皇以下四位以上・
僧正・大
僧都・
女房等が使用する。
蘇芳簾、蘇芳裾濃の
下簾、物見がなく開き戸があり、
繧燗縁の
畳を敷いてあった。
檳榔庇車(びろうびさしのくるま)
檳榔毛車の変形で物見に
半蔀があり、前後の眉の下に
庇があった。
簾や
下簾は檳榔毛車と同様。
太上天皇・摂政・関白・
大臣・親王以下二、三位等が乗用した。
糸毛車(いとげのくるま)
青糸毛車、紫糸毛車、赤糸毛車などがある。
染めた糸を組緒にして屋形を覆って飾り、上に金銀の
か文をつけ、
庇(ないものもある)の先端と屋形の下部に組緒をさばいた総を垂らしたもの。物見はない。基本的に女性用だが
春宮が乗る場合もあった。
青糸毛車は
中宮・
春宮・
斎院が乗る。
紫糸毛車は
女御・
更衣・
典侍・尚侍が乗る。
赤糸毛車は
賀茂祭りの時に女使が乗る。
網代車(あじろぐるま)
「文の車(もんのくるま)」ともいう。屋形を竹や檜の薄皮で斜めに
網代に組み、表面に彩色や文様を施したもので、物見がある。
屋形全体を白地にした白網代、袖だけを白地にした大臣乗用の袖白の車、棟と物見の上を白地にした上白の車、家の紋をつけた文の車等の種類がある。
大臣・
納言・
大将等が略式用や遠出の時に乗用した。また、
侍従・
中・少納言・四、五位は常用とした。
網代庇車(あじろびさしのくるま)
「庇車(ひさしぐるま)」ともいう。車の前後に
庇を付けたもので、眉は唐車のような
搏風の形、屋形は白網代、物見に
連子があった。
上皇・親王・摂関・
大臣・
大将等が乗用した。
半蔀車(はじとみぐるま)
網代車の一種で檜の薄板を斜めに
網代に組み、青地黄文(きもん)に塗り、棟の上は白の網代、袖は白の網代に漆で牡丹または杜若等の文様を書き、物見は
半蔀にし、その窓に
連子を打ったもの。
大将以上や高僧・
女房等も使用した。
雨眉車(あままゆのくるま)
網代庇車と同様の形だが車体が小さく屋形を弓形の唐棟とし、左右に
庇を出したもので略式の時に乗用した。
表面を
網代で覆ったものを「雨眉網代庇車」で上皇・親王・摂関・
大臣等が乗用し、
檳榔のものを「雨眉檳榔庇車」といい摂関・
大政大臣が乗用した。
白網代で青簾に青裾濃の
下簾のものだった。
八葉車(はちようのくるま)
網代車の一種でもっとも多く使用されていた、車の屋形や袖等に青地に
萌黄色の八葉の文(九曜星の文)を付けたもので、文様の大小により「大八葉車」「小八葉車」に分けた。
大八葉車は長物見で、
大臣以下
公卿、
僧正等が乗用した。
小八葉車は略式で切物見になっており、
弁少納言以下四、五位等が乗用した。
金造車(こがねくるま)
車種は問わず金具に金が用いられれば金造り、銀なら銀(しろがね)造りになる。
金造りの糸毛車は
典侍クラス、金造りの檳榔毛車は
女蔵人クラス、銀造りの糸毛車は
命婦クラスの乗用だったらしい。
牛車には、基本的に男女の区別はないが、女性が乗る場合には「出衣(いだしぎぬ)」といって 簾の下から衣や 下簾を出すことで「女車」と分かり、その趣向・風情で身分・家柄もある程度表した。また、男性のお忍びの場合に出衣をして女車の様にみせることもあった。

牛車は外観が華麗に見えるので、その華美を競いあった。度々そのことを厳しく禁止されたが、物語等にあるように風流華美の傾向に流れていった。
賀茂祭り等には「飾り車(かざりぐるま)」と称して競い合った。
また、貴人が牛車を列ねて行列をいっそう華やかにしたいという考えから、
女房の車に着ている衣装の美しく重ねたものを出衣として
簾から垂らし見物の一つとした。
出衣の方法として、まず車から衣を出すには 下簾を垂らし、衣の褄と袖との間に置くようにし、 裳の腰を下げ、地摺りの裳の端を少し腰の上に引き出すようにする。車の左右の榜立の下二・三寸(約6〜9cm)のところから、 打衣・ 単・表着(うわぎ)を重ねて、鴟尾の上へ車の両袖へ押し懸かるように引き出し、袖口をみせるようにして、袖の下から 裳の腰を引き出すもので、その下にずり下がらないように、衣の一部に糸を長く付け、車の内にさした竹釘のようなものに掛けて置く。
宮仕えの 女房の出衣も同様で、一輛の前後の左右に2筋ずつ長さ4尺(約120cm)あまり出す。
童装束を出す時には、童2人が差向いに乗り、着ている装束を出すもので、端の方の片袴をできるだけ下方に引き出し、その袴の上に
汗衫の尻の裾を童の後ろより引き出して、表を裏へ中折りにし、袴の裾に二寸(約60cm)ほど引き下げ、それと並べて
汗衫の前一つを引き出し、袴の上に並べる。
袴が短ければ
汗衫を長く
張袴より引き出す。
乗降については、乗る時は轅(ながえ)の軛(くびき)を搨(しじ)に置いて後ろから乗り、降りる時は搨を踏み台にして牛を放って前からおりる。
車の定員は4人で、1人で乗る時は下図の2番に座り、2人以上の時は番号が若い順が上席となり向かい合って座った。男女の場合は進行方向に向かって右側が男、左側が女になる。